どうして加害者になった場合のことを考えられないのか [死刑に反対]
死刑制度と民意
http://blogs.yahoo.co.jp/speed_rock_town/56440986.html より
法律の専門家は、なぜその法律があるのか、という法律の思想も歴史もひと通り学んでいる。それに対して裁判員などの素人にはそれがない。必然的に、判決を下す場合も法倫理より感情論に陥りやすい。
詳しく述べると退屈になりそうなんで省くが、おいらは実は死刑廃止論者だ。日本人の10人に9人は死刑制度を肯定しているそうだから、極めて少数派だ。まさに死刑制度支持は日本国民の「民意」と言えるかも知れない。
「死刑廃止」を唱えると、必ず「被害者や遺族の気持ちを考えろ」という反応が返って来る。それはわかる。自分の子がもし被害者になったら加害者を憎んでも憎みきれないだろう。
しかし・・・
と思うのだ。なぜ自分や自分の家族が被害者になった時のことだけで、加害者になった時のことを考えられないのだろうか。
被害者がいれば、当然加害者もいる。わが子が殺人を犯す可能性は本当にゼロなのか?もしわが子が死刑判決を受けた時、「死刑賛成。どんどんやってくれ」と果たして言えるのか?
⇒ ブログ 「スピードな生活」
死刑以外にあり得ない犯罪がある [死刑に賛成]
女子高生コンクリ詰め殺人犯の少年たちは死刑にするべきだった!少年法は無くすべき!
http://blogs.yahoo.co.jp/pachinko_pride/16884971.html より近代法治国家は個人から復讐権を奪い、国家が肩代わりし、処罰してくれることで成り立っている。しかし、綾瀬で起こった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に思いをはせると、国家が裁いてくれない場合に、個人が司法を超えて、復讐するのも、許されるのでは、と思ってしまう。
この事件は死刑に相当するものなのに、この畜生どもは、少年法に守られた。狂った牙を剥いたままで、社会に戻ってきたものもすでにいる。出所後、「おれは人を殺したことがあるんだぞ!」と相手を脅し、監禁致傷を起した者もいるし、服役中に「捕まったのは、運が悪かっただけ。」とうそぶく者もいた。この畜生どもを生かしておいて、国家の品格なんて、ありはしない。この事件の前に、この畜生どもがやっていたのは、レイプと盗みばかりではないか。
罪と罰…。罪に相応する罰が与えられないのであれば、社会がモラルハザードを起す。償える罪であれば、犯罪者が更正するのも許されるだろう。しかし、償えない罪も存在する。その場合は、死をもって詫びるしかない。これが死刑である。たとえ少年であっても、更正が許されない罪もあるのである。
本当に、この畜生どもが、更正したのなら、生きてはいられないはずである。償えない罪を犯したのだ。自らの命を絶ってこそ、畜生から人間へ回帰できるのである。
⇒ ブログ 「荒んでいく世界」
奴隷制度やアパルトヘイトと同様に死刑制度は廃止されるべき [死刑に反対]
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4859.html#comment-top より
かっては大半の国に存置されていた死刑制度。
しかし、現在、死刑の執行が行われている国は、日本を含めわずか20カ国あまりとなってしまいました。
なぜ、多くの国で死刑制度が廃止されたのか?
なぜ、国連やEU、良識ある人権団体は死刑廃止を求めるのか?
それは死刑制度が間違った制度であることに気付いたからです。
奴隷制度が廃止されたように、アパルトヘイトが廃止されたように、死刑制度は廃止されなければならない制度であることは明らかです。
この世界から死刑制度を無くすために、死刑廃止を自信をもって訴えていなかくてはなりません。
⇒ ブログ 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」
死刑は殺人行為であることに変わりはない [死刑に反対]
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11113384216 より
応報刑を否定している日本では、刑罰は決して仕返しではない。
だが、近年でいえば例の光市の事件が良い例だが、明らかに死刑を復讐の念を晴らすために有るべきだと主張する人々や被害者遺族が多い。
つまり、報復としての死刑を求める人があまりにも多いし、それは死刑本来の主旨に反する事であり、やられたらやり返せ、という考えでは死刑も殺人と大して変わらない。
憎しみや怒りというのは暴力でないと乗り越えられないモノなのか、殺人犯をどんなに許せなくても、殺さなけれ気が済まないのか?
日本はこれらを否定しているし、平和主義として紛争解決の手段として暴力に頼らないと決めている。仮に死刑によって復讐の念を晴らすなどという考えが無くなり、被害者やその遺族の心情が干渉する事なく死刑判決が下されるのであれば、死刑と殺人は全く違うものであるし、私が死刑に反対する理由も一つ減る。
⇒ HP 「Yahoo!知恵袋」
死刑廃止論者は被害者感情を軽視している [死刑に賛成]
http://asakuraweb.seesaa.net/article/271231832.html より
マスコミ報道で私が疑問に感じるのは、「元少年」といっては、これまでの隠蔽(実名)報道を正当化していること。そして、例外なくこの判決に、「厳罰化の傾向へ・・・」と語句を並べ立てていること。もはや世界的にも凶悪化の温床となっている有名無実の少年法だが、いくらなんでも30歳にもなる鬼畜外道を相手に「元少年」はないだろう。一部の週刊誌は事件直後から写真入りの実名報道をしていたが、今更ながらも、ご都合主義のテレビ・新聞のジャーナリズムは完全に死滅したといえる。そして後者だが、「厳罰化傾向」の何がいけないのか。過失ではなく、確信をもって残虐な犯行に及んだ鬼畜に厳罰が与えられるのは実に真っ当な思考ではないのか。
私にいわせれば、被害者(遺族)の尊厳や人権より鬼畜のそれを重んじる「死刑廃止論者」や「厳罰傾向」に異を唱える連中というのは鬼畜予備軍。おそらくは将来、凶悪犯罪に及ぶ予定があるのかもしれない。これは言い過ぎかもしれないが、そう言いたくなるほどに被害者感情を軽視していることは確かだ。民主党の中岡という前法相は職務放棄の税金泥棒だったが、現法相には法に則った職務遂行を求める。もっとも、順番からすると将来の法相になるだろうが・・・・・。
最後にもうひとつだけ。マスゴミは例外なく大月(旧姓福田)被告が友人にあてた手紙を繰り返し朗読しては、「あんなこと書かなければ・・・」と暗にコメントしている。まるでテレビを観ている凶悪犯罪予備軍に対し、“死刑回避の方法”を伝授しているかのようである。
⇒ ブログ「麻倉唯オフィシャルブログ」
被害者の立場に立てば死刑が当然 [死刑に賛成]
西水美恵子さんの死刑反対論
http://blogs.yahoo.co.jp/mutonchaku2000/67441917.html より
「人の命をうばうことは、罪。死刑は、人の命をうばう罰則。」未だにこんな事考えてる人がいて、且つ、その意見に賛同してる人がいると思うと本当に嘆かわしい…余りにも単純且つ短絡的過ぎる意見だから…
何で犯罪と刑罰を同義にするのか?犯罪者の行為=刑罰と同列に考える脳はどうかしてる。
例えば「家族が惨殺された事は可哀想だ。人権が蹂躙された!」=「家族を惨殺した犯人が刑罰に服するのは可哀想だ。人権が蹂躙された!」こんなんでいい訳?被害者視点が健全に欠落した上に加害者の保護ばかり唱えてる…
まるで犯罪者は生活保護者みたいな立場で保護されるべきものと考えている。何故だろうか?犯罪や加害者を恨む感情が無いのかな?
⇒ ブログ 反対意見や、批判、異なる視点は学習の糧
人を殺した者がすべて死刑になるわけではない [死刑に賛成]
人の命を奪う死刑は人道的か否か
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7583182.html より
人を殺してはならないという法規範がある限り、それに反する行為をした者には死刑という刑罰を受け入れる責務があります。それは、法治国家における約束事です。
人を殺した者がすべて死刑という刑罰を科されるわけではありません。様々な事情を斟酌して最も重い刑罰として死刑が科されます。
人の命が尊いものであることは誰も否定できないでしょう。しかし、その他の何物にも代えがたい人命を無残にも奪う行為に対しては、最も重い刑罰としての死刑は当然あってしかるべきではないでしょうか。
どんな冷酷非道な殺人者であってもその命は、他の善良な人の命と同様に保護されなければならないというのは、あまりにも現実を無視した空虚な理想論ではないでしょうか。
自分のことしか考えない凶悪な犯罪者が横行する社会においては、人道上という理想論は通用しません。冷酷非道な犯罪者のために血税が使われるよりも、病気や経済苦で困惑の極みにある善良な人の救済に血税は使われるべきではないでしょうか。
⇒ HP「教えて!goo」
人を殺したら即死刑にすべき [死刑に賛成]
死刑は必要!! 「人を殺したら即死刑にすべき 」
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-06-24 より
最近の少年犯罪に特に殺人事件で心神耗弱状態とかで無罪にしようと弁護士が弁護していますが、どんな理由であれ自分の手で人一人の人間の命を奪った以上はその償いは命を持ってしか償えないのです。更生など失礼だけど聞いて厭きれます。被害者の人権及び人命そして遺族の気持ちを考えたら死刑は当然かなと思います
死刑廃止論者や死刑廃止を訴えている人に限って身内に被害が及べば今度は逆に死刑にしろと攻めるでしょうね。そういう人間に対して死刑にせず、社会復帰して犠牲者がまた出たら責任とってくれるのかと言いたいですね。多分全員責任はとれませんということは間違いないでしょう。
本当におかしな世界ですね。私が思うに一人殺したら即死刑でよいと思います。但し、誰がみても被害者の方が相当非がある場合は別ですけどね。通り魔的な事件や自分が悪いのに注意されてカッとなって殺した場合は即死刑にしないと出所後社会に出たら、いつかまたカッとなって人殺しをするのは確実だと思います。そんな人間を野放しにしたら、怖くてたまりませんよね。私が思うに少年であろうが大人であろうが殺人事件の犯人は即死刑にすべきです。 そして、強姦や幼児いたずら、幼児虐待なども死刑にもしくは無期懲役刑(終身刑をつくり終身刑に)にすべきです。
⇒ ブログ Lococom
死刑制度は卑怯な精神をよりどころにして機能している [死刑に反対]
死刑囚弁護人
http://www.fben.jp/bookcolumn/2012/10/post_3423.html より(抜粋)
人を絞首台に送る陪審員や裁判官は、自らの下した判決をきちんと見るべきであり、死刑の執行に立ち会うべきだ。死刑を支持する控訴裁判所の裁判官は一人残らず死刑囚監房を訪れ、自らのその知らせを伝えるべきだ。死刑の執行延期を拒む最高裁判所の裁判官も、死刑執行室まで陰湿な廊下をはさんで8歩の待機房で死刑囚に自ら伝えるべきだ。助手をつかって、その死刑囚弁護人に電話で伝えるのはやめるべきだ。
この社会において処刑を継続するのなら、それが無慈悲かつ無責任に他人の命を奪った人間にたいする妥当な刑罰と考えるなら、執行を止める権力を有する人間は、その刑罰を科す責任、少なくとも、その刑罰を否定しないことの責任を負うべきである。
他者の決断により、他者が手を下すのなら、人を死に追いやるのは容易だ。現在の死刑制度は卑怯な精神をよりどころにして機能している。
⇒ HP 「福岡県弁護士会」
基本的人権は絶対的なものでない [死刑に賛成]
基本的人権と近代国家倫理
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1670/070700.htm より(抜粋)
他人の基本的人権を侵害した凶悪事件犯罪者について、それ自体の基本的人権を尊重するに値しない。
基本的人権は日本国憲法にて定められた範囲での権利であり、公共の福祉が最優先されるのはいうまでもない。
日本国憲法31条は法律の定める手続きによって生命を簒奪する刑罰を科せられることが、明らかに定められている。
基本的人権が天賦の権利であるのであれば、あらゆる刑罰は犯罪者の基本的人権を侵害するものと言え、法治国家として治安を維持することが不可能になる。
基本的人権を侵害された被害者またはその被害者遺族による私刑・敵討ちなどが近代法に基づき否定されている現在では、処罰の権利を独占している国家権力がそれに替わらなければならない。
⇒ HP「死刑廃止と死刑存置の考察」


